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2017年5月 7日 (日)

作家よりも作品が大事なタイプ

私にとっては、あらゆる作品について、最終的には「誰が関わっているか」よりも「その作品が自分にとってどうなのか」の方が重要なのだと思います。もちろん、「○○さんが関わっているから」ということがきっかけにはなるのだけれど、「○○さんが関わっている」すべてを許容するわけではない。

例として適切かは分からないけれど、シェークスピアが書いた文章ならなんでも読むという人もいるでしょうし、ベートーヴェンが作曲した音楽ならなんでも聴くという人もいるでしょう。でも、私はその中でも自分に合うものは読んだり聴いたりするし、合わないものは自分に合う時まで一旦避けておく。
  一応申し添えておくと、シェークスピアが書いた文章ならなんでも読むことや、ベートーヴェンが作曲した音楽ならなんでも聴くことを否定しているわけではないです。そうしたい方がいるのは分かるし、そういう考え方も大事。でも私はそうではないということです。

で、ラジオの話ですけれど(やっぱりか)。例えばAさんがパーソナリティをしている番組でも、聴いているものと聴いていないものがあります。「なんで?」と聞かれたら、「なんとなく」という答えにはなるのだと思う。ただそこで出てくるキーワードは、「番組に関わる人たちがいかに丁寧か」になるのだと思う。

動画配信なども含めると、「ラジオ的な番組」は随分増えてきて、そうなると「番組に関わる人たちがいかに丁寧か」で?マークがつくものも出てきている。パーソナリティの方のことは好きだし、一生懸命お話ししているのだけれど、なんだか違和感があったり、聴かなくなってしまうこともある。

疑問を感じる例で一番多いのは、「演者さんの人気や知名度に頼っている」と「私が感じてしまう」こと。「○○さんが出演してれば人は集まるでしょ」的な安易さを感じてしまうと、足が遠のきますよね。まあこれは感覚的なところもあるので、私はダメでもみんながOKならそれでいい。でも私はダメ。

まあ、自分に合わないものの話ばかりしていてもしょうがないので。
  「ラジオ番組に関わる人たちの丁寧さ」というのは、細かなところでも感じるんです。細かなところだからこそ感じるというか。番組そのものもそうだし、他にも番組のWEBサイトとかSNSがどう運営されているかとか。色々な余裕(人手とか時間とか予算とか)がないとしても、その中でいかにできることをやっているかは、見聞きしていると感じるんですよね。
  私はそう感じる番組を楽しんで行きたいし、応援していきたい。

ただ、現状の「コンテンツが豊富」っていう状況がありがたいのは、「どれだけ選り分けても自分に合うものはちゃんと存在する」ということで、これは自分が十代くらいの頃に、狭い世界の中で自分に合うものが見つからなくてイライラしていたことを考えると、十分に幸せなこと。

前も書きましたが、みんながそれぞれ感じる「好き」って、最終的には偏愛でしかないはずなので、その感覚を信じて、自分が好きなものを好きでありたい。「つまらないかも」と思いながら「いつか面白くかも」と思うよりは、私は今面白いと思うものを面白がりたい。だって仕事じゃなくて趣味だもの。

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