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2014年12月23日 (火)

【書評】幻想的な生活感:尾辻克彦『父が消えた』(河出文庫)

幻想的な生活感

父が消えた (河出文庫)尾辻克彦『父が消えた』(河出文庫)

 美術家の赤瀬川原平さんが尾辻克彦の名義で発表した短編小説集。表題作「父が消えた」は、亡くなった父の墓を巡る物語で、この作品で芥川賞を受賞している。八王子まで墓地を見に行く様子の間に、晩年から亡くなるまでの父親の様子が挟み込まれる。この部分は、作者の尾辻克彦=赤瀬川原平さんが亡くなられた今読むと、色々なことに思いを馳せてしまう。父の死について書いた著者自身も、今はもういないということに、なんというか、尋常ではない悲しさが湧き上がってくる。また、父が亡くなった後に父母が住んでいた団地の檜の風呂桶に水を張ったところ、隙間から水が漏れてしまい、「父はもうこれで死ぬだろうと予感した。父はもうじっさいには死んでしまったあとなのに、」(p.54)と描かれる場面とか、「耄碌というのは大切なことだね。そこまで行き着かずに、その途中のはっきりした意識で死んでいくのは本当に不幸だと思う」(p.64)という主人公の言葉とか、著者の死生観を読み取ることが出来る。

 しかし、この作品集の中では、むしろ表題作が異質であることが、続けて読んでいくと分かる。著者自身がモデルとおぼしき男性が主人公という点では 私小説的なのだが、その世界は現実的ではなく、幻想的あるいは妄想的。月島にある若い知人の家に猫をもらいに行って飼い始めるのだが、主人公にとってはそ れは「屋上」だという「猫が近づく」。引越しの様子を描く日記風の文章なのだが、「この間は雨樋を買うのが一番ラジカルだと思ったが、ここ二、三日はやは りドア把手を買う方がラジカルではないか」(p.215)とか「棚足の金具というのは、これはやはりラジカルだと思う」(p.231)などと評して買いに 行く「自宅の蠢き」など。いずれも、生活感はあるのだけど、どこか一カ所か二カ所、結構大きな部分で現実と違っていて、それが読者の知っている生活とのズ レを生んでいる。

 それを一番感じて印象的だったのが、本の最後に収録された「お湯の音」。小学生の娘との父子家庭となった主人公は、ある賞を受賞したらしいことが 分かる。そこで娘に「今日はご馳走のデマエがいいな」(p.253)と言われて、主人公は、夕飯の支度を取り止めて出前を取ることにする。ただし、「じゃ あね、お風呂の出前を取ろうか」(p.254)。そう、物語の世界では、銭湯を出前してくれるようになっていた。「昔にくらべたら銭湯も進歩したもんです よ。だって昔はもう出前といえばそば屋くらいしかなかったもんね」(p.263)などと言いながら。そしてお風呂屋さんがやってきて、自宅の四畳半は銭湯 になり、近所の人もやって来たりする。
 最後に希望が持てるような驚きがあるからか、娘の胡桃子が可愛らしく描かれているからか、この物語にはなんとなく朗らかさを感じる。ここでの文学賞の受賞とは著者が受賞した芥川賞のことなので、その晴れやかさの中で書かれたということもあるのかもしれない。
 そういう意味では、この作品集に納められた作品は純文学、私小説ではあるのだけれど、SF小説として位置づけることもできるのではないかと思う。


これまで私が書いた本の感想はこちらからどうぞ。

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