その青春は一回しか来ない。でも青春はたったひとつじゃない。
例年、2月や3月に鬱々とすることはないのですが、今年はちょっと来ています。
「始まる4月」に対しての、「変化する、終わる3月」って、なんとなく息苦しくなる。
特に今年は、ラジオを再び聴くようになってからの、本格的な3月→4月を迎えるのも関係あるのかも。去年も同じ頃、改編の時期に聴き始めたばかりの番組が終わって、寂しい思いもしたのですが、今年はその不安が更にある気はします。
それが関係あるかないか、アニメ『ゆるゆり』の曲を聴くことがあって、どの曲も名曲で、そして「かけがえのない青春」っていうテーマが共通してあるんだろうなあと思う。
私もそろそろいい塩梅の年齢になってきたので、これは実感として感じているのだけれど、中学生の時、高校生の時の青春は、その時一回しか来ない。あとから追体験したくてもできないし、もし追体験ができたとしても、それはやっぱり追体験なんだよね。だから、行動するかしないか迷った時は、行動しておいた方が良いのかなと思う。
ただし、もうひとつ、年とって実感していることがある。
青春はたったひとつじゃないし、青春は若い頃だけのものじゃない。
これは、高校生とか大学生の頃には分からなかったこと。たぶん、自分が学生の頃は、「勤め人になったら、今みたいな生活はできないんだろうなあ」と思って切なくなっていたことがあった。で、実際に勤め人になってから1年くらいは、余裕はなかった。
でも、その時期を一生懸命駆け抜けていれば、仕事にも慣れるし、自分で稼いで使えるお金もちょとずつ出てくる。そうしたら、昔とは違った形の「青春」が経験できるようになる。
これは気休めでも強がりでもなくて。
だって、30代になってから、生まれて初めてサイリウム振るようになるとは思わなかったし、同じように30代になって、イベントにお花贈るとも思わなかった。
そしてそれはラジオや声優さんに夢中な今だけじゃなくて、20代の頃に三日に一回くらい都内のライブハウスで音楽聴いていた頃とか、一年くらいWEBサイトに文章書かせてもらって、ムックにも原稿載せてもらったりとか、週末に定期的にスタジアムでフットボール(サッカー)観戦していた頃とか、クラシック音楽聴いたり、文房具を買っては使い倒したり(その方面で本名&顔写真入りで雑誌に載ったこともあったw)、「たほいや」などのゲームに夢中になっていたり、全部が全部、その時その時が大切だった。
たぶん今、「燃朗さん青春してますか?」と聞かれたら、恥ずかしいけれど「してるね」と言えると思う。というか、ある程度年をとっても「青春してる」と言える人がいることが、自分より若い人を勇気付けたり元気付けたり出来るのなら、積極的に言って行きたい。ちょっと先に生まれたものとして。
最後に、そのために大切なのは、忙しかったり大変だったりする時は、自分が大事にしている物事は「一旦しまう」ことかなと思う。捨てちゃうんじゃなくてね。
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