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2020年5月19日 (火)

【2011年アーカイブ】自粛しても行動しても、応援する人は応援するし、批判する人は批判する

昔のブログをメンテナンスしていたら、2011年4月(東日本大震災の一か月後だ)に書いた文章が見つかった。

当時と今では状況は似ているようで違うのだけれど、それでも、「人は他人に対して、『良い・悪い』とか『正しい・誤り』ではなく、『好き・嫌い・無関心』のいずれかで捉えがちである」ってことは変わらないと思う。
そして、人は「好き」だけではなくて「嫌い・無関心」も無責任に言っていいと思っている人が多いことも変わらない。言ってもいいのだけれど、そこには責任が伴うので、言ったことで自分の都合が悪くなっても逃げてはいけないし、間違っていたら謝らなければならない。そこまでの責任を負えないのであれば、なんでもかんでも思うがままに言ってはいけない。


2011年04月13日

自粛しても行動しても、応援する人は応援するし、批判する人は批判する

最近、自粛について考えています。自分の言動も、他人の言動も。
色々な人の様子や物事を見聞きして思ったのは、自粛しても行動しても、認められるものは認めるし、認められないものは認めない、ということ。

例えば花見の宴会。一時期、東京でも宴会の自粛が求められた。それに対し、宴会をしたい人は「行き過ぎた規制」、「日本の経済のために宴会をやるべきだ」、「なんでも自粛はいかがなものか」と異を唱える。一方、以前から宴会を快く思っていなかった人は、「自粛は当然」、「この時期に宴会をやる場合か」、「被災地のことを考えろ」と賛成する。

例えば有名人の活動。自分が好きな歌手がコンサートを自粛すれば、「残念だけれど今は仕方がない」と思い、コンサートを行うと言えば、「今こそ音楽が必要。コンサートをやってくれてありがとう」と思う。自分が嫌いな歌手だったら、自粛すると言えば「自粛してなんになる。普段どおりやるべきだ」と批判し、普段どおり活動すると言えば「このご時世になにをやっているんだ、やめろ」と批判する。たとえチャリティーの活動であっても、「売名行為だ」と批判する。

そして、いずれも場合も無関心なひとはどこまでも無関心。
だから、自分の行動も、やるべきか自粛すべきか考えて、自分で決めた方向に進むしかない。そして、もしも途中で違うと思ったら、考え直して進み直す。それを恥ずかしいとかかっこ悪いとか思わない。

もうひとつ、そうやって他人を見ると、地震の前よりも見る目は厳密になった気がする。以前なら、好きにせよ嫌いにせよ「まあいいか」と妥協していた人や物事に対し、応援したいものはより強く応援し、嫌うもの、関心のないものからは徹底して距離を置くようになった。

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