私には推しはいない
ここでは「推し」を「その人や物に関することを全肯定する存在」と定義します。
自分でもよく分かっていなかったのですが、定義をすると「ああ、俺には推しっていないんだなあ」と実感する。
私にも応援している人やコンテンツはありますが、それに関わる一切合切を追うことは少ない。というか、たぶんない。
例えば好きな声優さんというのは、「ある作品のあるお芝居」とか「あるラジオ番組での話の内容」が好きなのであって、その人の関わるすべてのお仕事が好きなわけではないし、その人が好きな食べ物やなにやらがすべて好きなわけでもない。
あと、ある時期のお仕事は良いと思っても、時が過ぎて方向性が変わってきて自分の興味がズレることもある。「昔は好きだった」というのはそういうことなのだろう。
そういう意味では冷たい人間ですが、無責任に「○○さん推しです」というよりは(そしてその推しをこっそり変えたり、あるいは「推し変します!」と宣言するような愚行を繰り返すよりは)立場が明確だからいいのだと思っている。
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(参考)|「作家主義より作品主義」であることの苦労と快楽: 木の葉燃朗の360365: https://konohamoero.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-40db.html
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