【アーカイブ】自分が作るものの濃度
昔、このブログの前のブログに掲載していた記事を再掲します。
10年以上前、ビジネスとか知的生産とか、今よりも結構真面目に考えていたのが、今読み返したらおもしろかったので。
なお10年以上前なので、内容が古い場合もありますが、基本的にそのままにしています。
なに書いてるか分からないかもしれませんが、「商売として売れるものを作るためには、妥協はしないといけない」、「趣味として好きなものを作るのであれば、とことんこだわればいい」ということです。
2013年11月11日
自分が作るものの濃度
例えば、俺がラーメン屋を開業すると考えた場合。
仮に、俺は味が濃い、こってりしたラーメンが好きだとする。しかし世間一般では、もっと薄味のラーメンに人気があるとする。俺からすれば、「うっすい、そんなんで味がするんかいな」と思うようなラーメンに人気があるとする。
開業を勧めてくれる人は、おまえが店を出すのなら、濃い味のラーメンこそが魅力だと言う。世に出せばきっとお客は来ると。
だがこの場合、高い確率で客が集まるのは、俺は「味がしないような」と思う薄味のラーメン屋。自分の味覚は尖っていて、優れた味を見分けられる(と思っている)が、大勢の人にとってはそうではない。自分が薄いと思う味のラーメンを、旨いと言って食べる人間の方が多い。
もちろん、自分の味を愛する人が集まり、常連となって店を支えてくれるのであれば商売は成り立つだろう。しかしそれは幸運なのであって、多くの人はどこかで折り合いをつける必要がある。「売れるメニューが良いメニュー」と、志を曲げて薄い(と自分が思う)味のラーメンを出すのか、薄味も濃い味も両方を出して、生活と自尊心の両方を支えるか。
しかし、大切なことがある。
これはあくまで、ラーメン屋として生計を立てる場合。例えば、俺が仕事は勤め人として続けながら、月に1回くらい、友人や知人に自分のつくったラーメンを振る舞うとする。タダで。この時は、なにを遠慮する必要もない。自分が食べたいと思うラーメンをつくり、振る舞い、自らも存分に食べればいい。この味が会わない人間は来なければ良いし、そもそも呼ぶ必要もない。
そして言ってやればいいのだ。
「世の中の連中は、うっすいラーメンばかり行列作って食いやがって。そんなんで味がするんかいな」
俺が、そしてあなたがあるいはどこかにいる誰かが、ラーメンを作ろうとした時、色々な人が色々なことを言ってくるかもしれない。だがその時に考えてほしい。
俺は(あなたは誰かは)、なんのためにそのラーメンを作るのか。
生活のため? あるいは趣味としての楽しみのため?
色々なことを言う人は、どんな立場で、俺を(あなたを誰かを)どう思って、そういう言葉を投げているのか。
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